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2017年04月26日

下妻物語(嶽本野ばら/小学館)〜あらすじと軽いネタバレ、感想



・ど田舎のロリータとヤンキーの友情

・露悪的でユーモア満載

・残酷さを笑いに昇華

オススメ度:★★★★☆

(あらすじ)ロリータファッションに魅力された高校二年生の桃子はダメ親父の失敗のせいで茨城県の下妻の祖母を頼って親父と一緒に身を寄せる。そこでイチコという同い年のヤンキーと出会い、友情を育んだので有った……。

という至極真っ当な友情物語を素っ頓狂なキャラが演じるというのが見どころ。まず驚いたのが、章立てが無く、最初から最後までほぼ間断なくロリータファッションに傾倒する桃子の「自分語り」で続くこと。とにかく切れ目なく妙に残酷な現実を不思議な明るさで生きる主人公の視点を堪能できる。

多分作者のリビドーというか深層心理というか、その辺りがエンジン全開で爆走しているのだと思うが、一見露悪的だが、衒学的側面もあり、妙に確信に満ちた哲学で、難題をやり過ごす様子は痛快だ。ただ、この主人公の「自分語り」が肌に合わなければ嫌悪しか湧かないだろう。間違いなく面白いが、数ページ読んで見てからのご購入をお勧めする。

どこが怖いかと言われると、普段、私たちが取り繕っている常識、日常をことごとく破壊されるところだ。カワイイの何が悪い? 誇りを捨てるぐらいなら孤独に死ね、と桃子は脅して来るのだ。

特徴的なのは母を捨てて、父に着いていくシーン。賢い母は愛と経済という名のセーフティを選択したが、父親は馬鹿全開でまったく救いがない。しかしある種動物的な誇り、無知ではあるが本能には抗わない、という無意識の誇り、善良さを桃子は愛したのかも知れない。

とにかく、切れ目なく続く珍談・奇談を楽しめばよい。ホラーではないが、ハラハラもするし、通り一遍のハッピーエンドもみない。この辺の外し方が、漫画で言えばヘタウマという手法だろう。

ちなみに映画も観たが、こちらもよい作品だ。アメリで有名なジュネ監督の影響は感じるが、主演二人の熱演もあって「超楽しい」。樹木希林の扱い方が素晴らしいと思う。ネタバレはしないが、発射されないミサイルのよう。

心配なのは下妻の人は怒らないかということだが、漱石もあれだけ松山を腐したのだから大丈夫なんだろう。
(きうら)





(楽天)






posted by 北川商店 at 07:00| ★★★★☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

生誕の災厄(E.M.シオラン/紀伊國屋書店)



・シオランの精髄。

・トゲのある、おそろしい箴言(しんげん)集。

・万人にお薦めしたいが、万人向けではありません(矛盾)。

おススメ度:★★★★★


ルーマニア出身の作家/思想家シオランのアフォリズム集。アフォリズムというと、「簡潔な表現で人生・社会などの機微をうまく言い表した言葉や文」(『大辞林』)です。耳に心地好い人生訓めいたもの、社会風刺を混ぜ込んだピリリと辛いもの、なるほどとうなったり、クスッと笑えるもの、痛快な人物評などなど、著者の経験・観察眼の力量次第で出来は違うものの、大抵はどれも似通ったものです。

シオランのアフォリズムもその域を越えるものではないですが、所々かなりの毒性を含んでおり(というか毒ばかりですが)、そこには社会や人間への単なる批判というより、この世に誕生した人間存在への疑義めいた文句ばかりです。と言っても、人間を憎むばかりでなく、視線をそらさず盛大な嫌味を述べている感じです。

その内容がどれほど陰性的なのかは、例えばエリック・ホッファー(wiki)と比べるとよく分かります。ホッファーの場合、私個人の印象だと、《宵の口にふらりと入った酒場で、知性的で経験豊富そうなオヤジが顎に手をやりながら、タメになることを語りきかせている》ような感じです。それを聞いている最初は、なるほどと感心するのですが、そのうち単調さに飽きて最後まで聞かずにその店を出てしまいます。(なので私はいまだホッファーのアフォリズム集を読み通せません)。

一方シオランのアフォリズムは、《真夜中の散歩中、教会前の階段に腰かけた人物が、ぼおっと白い顔だけを浮かび上がらせて、こちらを手招きし、とつとつとした語り口で、何か宇宙の神秘でも暴き出したかのように、人間の恥部を掘り出すかのように、痛みをこらえながら、休み休みに紡ぐ言葉》といった感じで、目が離せないのです。本書はどのページを開いても、何かしら胸に刺さるトゲのような一文があります。「アフォリズムだって? そいつは炎なき火だ。誰ひとりそこで暖を取ろうとしないのも無理はない。」(P201)というシオランですが、以下に実際いくつかのアフォリズムを書き出してみます。何か感じ取れるかもしれません。

「病気は、私たちが病名を告げられ、頸に縄をつけられる瞬間から、ようやく自分の病気となるにすぎない。」(P235)
「私の病弱は、私の生を駄目にしたけれども、私が生きており、生きていると思いこんでいられるのは、その病弱のおがげである。」(P254)


この2つは、私にとっておそろしいほどの的確さとなぐさめをもって、私の胸を抉ってきます。

「何もわざわざ自殺するには及ばない。人間はいつも遅きに失してから自殺するのだ。」(P46)
「苦痛を味わうのなら、その果てまで行かねばならない。苦痛をもはや信じることができなくなる瞬間まで。」(P108)
「孤独を守る唯一の道は、あらゆる人間を傷つけることにある。まず手始めに、自分の愛する人びとを。」(P134)
「時には食人種になりたくなる。ただし、誰彼(たれかれ)を貪り食らう楽しみより、食ったあとそいつを吐き出してやる楽しみのために。」(P218)
「人間は独特の匂いを立てる。あらゆる動物のなかで死骸の匂いがするのは人間だけだ。」(P271)


適当にページを開いて書き出しましたが、どうでしょう。こんなことを言う人間が周りにいたら、よくて中二病扱いか、最悪鼻持ちならない露悪(欠点や短所をことさら取り上げる)的な奴として敬遠されるだけかもしれません。しかし、もしこれらの文言に何らかの真実の欠片というか、何かひかれるものが少しでもあれば、読んでみる価値はあります。特に眠れない夜などに。

他にも、もっと長いものもありますし、読みやすいものもあります。また、日本人には完全に理解できないものもありますが、きっと幾つか気に入る文章があります。最後にまた引用ですが、当ブログにふさわしいものをあげて終わります。

「人は、どんな事についても、何ひとつ、言うすべを持たない。それゆえに、この世の書物の数には際限がないのだ。」(P109)
「未来への恐怖は、つねに、この恐怖を味わいたいという欲望の上に接木されている。」(P275)
「一冊の本は、延期された自殺だ。」(P134)

(成城比丘太郎)


(編者中)
個人的には「何もわざわざ自殺するには及ばない。人間はいつも遅きに失してから自殺するのだ。」がぐっと来た。自殺名所に貼っておいたら何人かは踏みとどまるのではないか? パタリロがもったいぶって引用するジャンコクトーの警句みいなものか? まあ、一冊手元にあると絶対に読んでしまうね。




posted by 北川商店 at 07:00| ★★★★★ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ムーたち(1)(榎本俊二/講談社)



・ナンセンス風だが、(屁)理屈の通ったギャグ漫画(エログロなし)。

・ある家族を中心にした連作短編。

・登場人物の思考や行動に、共感する部分が、ひとつはあるはず。

おススメ度:★★★★☆


「虚山(むなやま)家」の三人家族が、何らかのこだわりを持ったキャラクターと共に織りなす、シュール系のマンガ。主人公の「無夫(ムー夫)」は、無個性な顔つきをしていて、まだ何も知らない無垢(そんな人間はいないが)そうな印象を受ける。一方、父の「実」は丸ハゲで、事あるごとに表情を変え(目、鼻、口が一定しない)、大人としての経験が表れているよう。お母さんは結構魅力的で、それほどムー夫に関わるわけではないですが、要所でいい味を出します。1巻では、父がムー夫に、動物が狩りを教えるように、物事の道理をひねくれた見方で教えていく話が中心です。

父の教えはとても変わっていて、既知のものを見方を変えることで、それを未知のもののように捉えさせるところがあります。例えば、「9話・しりとらず」では、しりとりのルールを逆転させる遊びをします。これは要するに普通に「しりとって」しまうと負けで、相当の集中力を必要とするようです。私はやったことはないですが。その他、父はムー夫と想像の中で旅行をしたり、様々な《教え》をほどこすのですが、どれも遊びのような感覚で行います。この辺りのことは、作中の学校でなされる、先生の授業と比べると面白いです。

「15話・五感食」で、好き嫌いをしないムー夫に言った、父の(屁)理屈はとても良い。好き嫌いを叱る親は多いが、こんな事を言う親はなかなかいないだろうな、といった理屈が繰り広げられます。「28話・ビー・オカルティ」では、「ユーレイ」を怖がるムー夫を諭す時の、父の理論はとてもおそろしい。大体中学生くらいになったら徐々に考え始めるんじゃないだろうか、という理屈が述べられてます。私はそうでした。

「33話・ウェルカム自分」で、もう一人の自分を見つめる自分の存在に気付いたムー夫に、父が、「34話・セカンド自分」で、さらにそれを見つめるもう一つの「セカンド自分」がいることを教えた所で、ムー夫への《教え》は折り返し点を迎える。ここで1巻はほぼ終わる。

この作品には、私が共感するエピソードやキャラクターが多数あります。「26話・挑戦者たち」では、誰もが一度は疑問に思ったことがあるんじゃなかろうか、といったことがビジュアルだけで説明されています。内容は読んでみて下さい。「35話・ミスターそれ以外」は、もってまわったヒネクレ男の話。例えば彼は、国籍を訊かれて、日本以外の全ての国名をあげて、答えにしています。この後彼は、さらに名前を訊かれるのですが、どうなるか書く必要はないでしょう。

そして、一番のキャラクターは、「規理野(きりの)君」でしょう。彼は点や線などの幾何学模様に、何らかの規則性や法則性を見出だそうと日夜奮闘しています。彼のような事を少しでも考えている(偏執的な)人は、私含めているでしょうが、それを徹底するとどうなるかは、2巻でのお楽しみになります。

1話あたり数ページなので、簡単に読めるうえ、内容もそれほど難しいものではありません。我こそはヒネクレ者だ、という人にはうってつけのマンガです。
(成城比丘太郎)


補足)また、知らない本が来た。よく知ってるなぁ……。





(楽天)




posted by 北川商店 at 00:09| ★★★★☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする