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2017年09月27日

ヒョウタン文化誌(湯浅浩史/岩波新書)〜読書メモ(6)



ヒョウタンの意外なユーティリティーさ。

オモシロ度:★★★★☆


ヒョウタンというと、豊臣秀吉とか酒入れの道具くらいにしか思っていなかったが、この本を読んでヒョウタンの意外な姿を知った。「人類とともに一万年」という副題とあるように、ヒョウタンは生活必需品として、或いは楽器として、或いは祭祀に用いる象徴的なモノとして、人類の歴史に深く関わってきたようだ。

航海に出る時に、貴重な水を入れる容器としてはもちろん、大昔はヒョウタンで煮炊きをしていたらしい(今でもそれ用に使っている所があるようだ)。その他、物を入れたり、楽器として用いたり、食用にしたりとおそろしく広い用途で使われてきた。もしもの時はヒョウタンがあればいけるんじゃないかと思うくらい、ヒョウタンは凄い。とはいえ、ヒョウタンを栽培するのはともかく、用途別に加工するのは難しそう。

ヒョウタンのすごさを面白く簡単に読める一冊です。(No.006)

(成城比丘太郎)









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2017年09月23日

みゆき 〜その衝撃的結末について・ネタバレあり



ヒジョーに古い漫画のお話なので、ネタバレありきで、短いコラムを書いてみたい。

少し前に、小説を読んでキャラクターの死に動転し、無意味に歩き回った経験が2回あると書いたが、実はもう一つある。それが本作、あだち充の「みゆき」のラストである。今でも活躍されている漫画家だが「タッチ」や「H2」などに隠れて今一つ知名度が低い気がするがこんな話だ。

ある時、母親を亡くして一人暮らしをしている高校生・若松真人のもとに、6年ぶりに異母妹の「みゆき」がやってくる。一応、父親はいる設定だが、ほぼ、二人暮らしで話が進行する。そして、若松真人には同じ「みゆき」という名前のガールフレンドがいるのである。妹のみゆきは活発で天真爛漫、彼女のみゆきは、超がつくお嬢様タイプである。

話の中身は、よく考えると疑似近親相姦もので、危ない領域に踏み込んでいると思うのだが、そこはあだち充先生である。非常に軽いタッチで、「みゆき」と「みゆき」の間を揺れ動く真人の学生生活をコミカルに描いている。そこには深刻な問題は存在しないし、男子中高生が楽しめるようなちょっとだけエッチな要素がちりばめられている。むしろ、「タッチ」などと違って、全編通して明るい作品である。

それだけに、ラストの衝撃は忘れがたい。以下ネタバレです。

12巻あるラストで、主人公の若松真人は、妹の「みゆき」の結婚式に、兄としてスピーチするのであるが、あろうことか「妹のみゆき」が好きだと告白し、その結婚式をぶち壊すのである。一応、それなりの伏線はある。ただ、それまでの和やかなムードが一変、直接的な描写はないものの「驚愕の修羅場」だ。その時思ったのは、

「彼女のみゆきが可哀そうだ!」と、いうやりきれない気分だった。

で、思わず、家を飛び出し、衝撃のあまり町をさ迷ってしまった。客観的には、私は完全な馬鹿者だが、楽しいラブコメを読んでいたら最後の最後で崖から突き落とされた気分だった。私は優しい彼女の方の「みゆき」の方が好きだったのかも知れない。

と、まあ、どうでもいい話であるが、ラブコメでここまで衝撃的なオチが待っているとは(当時の)私は想像もできなかったので、今でもトラウマとして深く心に残っている。

ちなみに、アニメ化もされていて「大人の階段のぼる、君はまだシンデレラさ」と歌う、H2Oの「思い出がいっぱい」の方が有名かも知れない。オープニングの「10%の雨予報」もいい曲で、後に珍しくCDを買い求めた記憶がある。今見たら、ちゃんと手元にCDが有った……。

その後、ラブコメを含むギャグ系マンガを読むときはラストに豹変しないか注意している。

(きうら)





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2017年09月19日

「枯葉」とビル・エヴァンス(成城比丘太郎のえせエッセー)



シャンソンで有名な「枯葉」の作詞家は、プレヴェールです。プレヴェールといえば、「枯葉」の作詞家というように、このフランスの詩人は「枯葉」と強く結びついています(私の中で)。『プレヴェール詩集』(岩波文庫)にはその「枯葉」を含めて、かるいテンポながらどこか怖いところもある詩などが収められています。「枯葉」の詩は最後に載せてあるのですが、日本語訳しかありません。出来れば対訳としてフランス語も載せてあればよかったのに。まあ、私はフランス語は喋れないし、原詩を見たければネットで検索したらいいんですけどね。

さて、「枯葉」というと、ジャズに関しても、スタンダードになっていて数多くの演奏があります。今演奏されている多くの「枯葉」は、おそらく英語訳されたものだとは思います。ちなみに「枯葉」の詳しい内容は「枯葉(歌曲)の[wiki]」を見てください。私が(ボーカルで)聴くのは、ほとんどが英語の歌詞がついた「枯葉」です。私は、それなりに聴いてきたのですが、聴きすぎて、誰の「枯葉」が好きなのかは実はよくわかりません。おそらく、(ボーカルで)一番すごいと思ったのはサラ・ヴォーンの「枯葉」でしょう。スキャットで歌いまくるこの「枯葉」は、初めて聴いた時は衝撃でしたね。何度聴いてもどこか新鮮なところがあります。

ジャズの聴きはじめに、いいなと思ったのが、ビル・エヴァンスの『PORTRAIT IN JAZZ』の「AUTUMN
LEAVES」でしょうか。哀愁のある「枯葉」というより、誰かが枯葉が舞う中を走り回る印象の一曲です。これは一時期聴きまくったのですが、すぐにどこか飽き足らなくなってしまいました。別に「枯葉」自体がいやになったわけではなく、ラジオなどで「枯葉」特集があると録音して何度も聴いているくらいには好きだし、ネットでもよく聴くし、誰かのアルバムに「枯葉」が入っていたら買おうかどうか迷うくらいには好きなのですが。いろいろ考えると、ビル・エヴァンスの聴き方(?)が変わってきたのです。

ビル・エヴァンスに私が求めるのは、ただ良いものというだけではなく、聴いている時に、頭の中に特殊な光景が浮かぶかどうかというものへと、シフトしていったのです。もちろん、他のプレイヤーのものでも同じように、頭に(何かが)浮かぶことはあるのですが、どうやらエヴァンスだけは、(主に寝る前)目をつむる時に聴くと「今まで見たことはあるようだが、実際に見たのかどうかわからない懐かしい光景」が(自然発生的に)浮かぶのです。それは、他の演奏家では起こったことがありません。しかもたくさんの曲で起こるわけではありません。以下では、その現象が起こる(時がある)アルバムと曲をいくつかピックアップしたいと思います。

『I Will Say Goodbye』
『ALONE(AGAIN)』
『Moon Beams』
『UNDERCURRENT』内の「SKATING IN CENTRAL PARK」
『You Must Believe In Spring』
『NEW CONVERSATIONS』
『ラスト・レコーディングV』

などでしょうか。ここに挙げたのは、ピアノトリオ・デュオ・ソロなどで、いずれも静かで美しい曲がメインですかね。とにかく、ビル・エヴァンスだけはジャズでありながら、何か他のものが(私にとって)ありそうです。ジャズの音楽技法には詳しくないのでよく分からないところもありますが、こういう聴き方もありじゃないかなという感想でした。音楽が何かパーソナルなものと結びつくというのはよくあるでしょう。

(成城比丘太郎)







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