

シャンソンで有名な「枯葉」の作詞家は、プレヴェールです。プレヴェールといえば、「枯葉」の作詞家というように、このフランスの詩人は「枯葉」と強く結びついています(私の中で)。『プレヴェール詩集』(岩波文庫)にはその「枯葉」を含めて、かるいテンポながらどこか怖いところもある詩などが収められています。「枯葉」の詩は最後に載せてあるのですが、日本語訳しかありません。出来れば対訳としてフランス語も載せてあればよかったのに。まあ、私はフランス語は喋れないし、原詩を見たければネットで検索したらいいんですけどね。
さて、「枯葉」というと、ジャズに関しても、スタンダードになっていて数多くの演奏があります。今演奏されている多くの「枯葉」は、おそらく英語訳されたものだとは思います。ちなみに「枯葉」の詳しい内容は「枯葉(歌曲)の[
wiki]」を見てください。私が(ボーカルで)聴くのは、ほとんどが英語の歌詞がついた「枯葉」です。私は、それなりに聴いてきたのですが、聴きすぎて、誰の「枯葉」が好きなのかは実はよくわかりません。おそらく、(ボーカルで)一番すごいと思ったのはサラ・ヴォーンの「枯葉」でしょう。スキャットで歌いまくるこの「枯葉」は、初めて聴いた時は衝撃でしたね。何度聴いてもどこか新鮮なところがあります。
ジャズの聴きはじめに、いいなと思ったのが、ビル・エヴァンスの『PORTRAIT IN JAZZ』の「AUTUMN
LEAVES」でしょうか。哀愁のある「枯葉」というより、誰かが枯葉が舞う中を走り回る印象の一曲です。これは一時期聴きまくったのですが、すぐにどこか飽き足らなくなってしまいました。別に「枯葉」自体がいやになったわけではなく、ラジオなどで「枯葉」特集があると録音して何度も聴いているくらいには好きだし、ネットでもよく聴くし、誰かのアルバムに「枯葉」が入っていたら買おうかどうか迷うくらいには好きなのですが。いろいろ考えると、ビル・エヴァンスの聴き方(?)が変わってきたのです。
ビル・エヴァンスに私が求めるのは、ただ良いものというだけではなく、聴いている時に、頭の中に特殊な光景が浮かぶかどうかというものへと、シフトしていったのです。もちろん、他のプレイヤーのものでも同じように、頭に(何かが)浮かぶことはあるのですが、どうやらエヴァンスだけは、(主に寝る前)目をつむる時に聴くと「今まで見たことはあるようだが、実際に見たのかどうかわからない懐かしい光景」が(自然発生的に)浮かぶのです。それは、他の演奏家では起こったことがありません。しかもたくさんの曲で起こるわけではありません。以下では、その現象が起こる(時がある)アルバムと曲をいくつかピックアップしたいと思います。
『I Will Say Goodbye』
『ALONE(AGAIN)』
『Moon Beams』
『UNDERCURRENT』内の「SKATING IN CENTRAL PARK」
『You Must Believe In Spring』
『NEW CONVERSATIONS』
『ラスト・レコーディングV』
などでしょうか。ここに挙げたのは、ピアノトリオ・デュオ・ソロなどで、いずれも静かで美しい曲がメインですかね。とにかく、ビル・エヴァンスだけはジャズでありながら、何か他のものが(私にとって)ありそうです。ジャズの音楽技法には詳しくないのでよく分からないところもありますが、こういう聴き方もありじゃないかなという感想でした。音楽が何かパーソナルなものと結びつくというのはよくあるでしょう。
(成城比丘太郎)


