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2018年01月31日

死にかけた話(実話)

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私はすでに40年以上生きている状態ですが、この年になると死にかけたことは何度かあるわけです。一応思い出すだけで4回あります。

1回目。3歳か4歳の時。当時住んでいたボロアパート。2階に両親と住んでいた(らしい)のですが、そのアパートの2階で私は「自転車」に乗っていたそう。そして、何を思ったか、階段の方に見事にダイビング。
普通なら大怪我になっていたはずですが、私は無傷でした。なぜかというと、父親がその階段の下で車を洗車していたからだろうです。つまり、自転車と一緒に落ちてくる私を受け止める父親、そして成功するミッション。想像すると、中々素晴らしい絵図らですが、残念ながら記憶にありません。

2回目。小学校の時は、夏になると、なぜか瀬戸内海の宿に家族で海水旅行に行っていました。そこで、泳いでいた私は気が付くと、遥か沖合にいたそうです。叔父が慌てて助けに来てくれたそうですが、海の底に沈んでいたとかなんとか。これも残念ながら記憶はありませんが、夏になるとやってくる一大イベントとして楽しかったです。インターネットなど影も形も無い世界、そこに行くまで何があるか分からない時代。残念ながら、記憶になく、楽しい思い出だけです。

3回目。激務に追われていた30代、娘を保育所に送り届ける途中、横から製薬会社の車が私の三菱アイに突っ込んで来ました。生まれて初めて救急車で運ばれましたが、本当に痛いのは、廃車になったその車と、未だに娘に「パパは運転が下手」と思われていること。疲れていたんだよ、本当に。

4回目。これは最近常々。人生の楽しいことと辛いことを一通り経験した現在、何を目指していいのか分からない。一応、目標はあるけれど。かつてマラソン選手の有森さんが、オリンピックで金メダルを取った後「目標が無くなった」という理由で死にたくなったそう。目標=希望と言えるかもしれません。諦めを前提に、希望と現実の間で揺れ動く日々を送るようになって、自分も大人になったな、と思う次第です。

以上、つまらない体験談ですが「死」について。最期はどうかなぁと思いますが、大人になると、たぶん、みんな多かれ少なかれ思うこと。その時は「風向きはいきなり変わることもある/一人で立ち上がる(ルキンフォー/スピッツ)」を思い出して頑張りましょう。

では明日も、皆さん「お元気」で!





ラベル:エッセー きうら
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2018年01月24日

個人的JRA賞と、2018年クラシック-Part1(えせエッセー・競馬)

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「2017年度JRA賞」が先日発表されたが、年度代表馬はキタサンブラックと、文句なしの受賞のようだが、オジュウチョウサンに3票も入っていて、そこは興味深かった。もしキタサンに障害練習させて、オジュウチョウサンと走らせたらどちらが強いだろうか(間違いなくキタサンだろうな)。そのキタサンブラックはこれから繁殖に入るが、どんな仔をだすだろうか。血統的なことは分からないが、兄のショウナンバッハがダートで勝ちあがってきたように(園田で)、ディープインパクトやその産駒〔の種牡馬〕と違い、ダートで走る馬を出すやもしれん。

さて、今回は本場(?)の賞と違い、(お世話になった馬を中心に)個人的JRA賞に選ばれた馬を勝手に決めていきたい。

まずは、最優秀マイラー。これは間違いなく、「ペルシアンナイト」。この馬は昨年G1の比較的人気薄において、非常にお世話になった。もし皐月賞を勝っていたら、最優秀3歳牡馬だったろうな。

次に最優秀逃げ・先行馬。これは普通なら、マルターズアポジーなんだろうが、個人的には「ロードヴァンドール」。金鯱賞で万馬券をプレゼントしてくれただけだが、やはりこれ。日経新春杯でも自信の本命だった(が、ガンコを切ってしまった…)。

最優秀個人的4歳以上牝馬。これは「ゲッカコウ」。もうほんまに馬券でお世話になりまくりだった。愛知杯では残念だったが、これで次も人気薄になるだろう。この馬は牡馬と混じった方が走るかもしれないから、今年も期待できる、かも。ゲッカコウとロードヴァンドールは、走っても一番人気になりにくい地味な馬だから、特に馬券的にはおいしいな。とくに日経新春杯は、低レベルのレースだったから余計に評価は下がるだろうし。

最優秀上がり馬。これは、「サングレーザー」でしょう。スワンSからの3戦はお世話になった。今年は人気になるだろうから、おいしくはないが。

去年はルーラーシップ産駒が初年度から勝ち星をいくつも重ね、今年もさらに成長が見込まれそうだし、楽しみだ。そのなかで、アディラートは人気を背負って負けることが続くかもしれないので馬券的には切りやすい(逆に言うと、走る条件を見極めたら買える)。個人的に一番期待したいのが、プリンセスルーラー。カーネーションCでの目覚ましい足をようやく前走で見せてくれた。カーネーションで負かしたブルークランズ(同じくルーラーシップ産駒)が、1000万下をこの前勝ったし、いずれ出世することを期待したい。ただしこれも走るためには条件が必要なので、馬券的には比較的人気薄の時を狙いたい。

そして、ことしのクラシックだが、牡馬は普通ならダノンプレミアム1択なんだろうが、距離が延びたら他の馬も肉薄できそうか。今の段階ではどれがいいか分からないが、ワグネリアンは個人的には疑問符だなぁ。次の走りを見てから決めたいが、なんとなく完成度が高かっただけの馬のように思える。完成度というと、京成杯を勝ったジェネラーレウーノはまだ気性的に完成されてないみたいだが(なんか底知れないものを感じる)、皐月賞直行のようなので非常に判断が難しい。京成杯2着以下の馬の様子を見て決めるか。一方その京成杯より勝ちタイムが遅かった(勝ち馬の勝ち方もいまいちだった)ホープフルS組もこの後の動向次第か。その他、オブセッションやゴーフォザサミットといったあたりも次走の様子を見てからか。まあ、いまさらだが、(牝馬も含めて)札幌2歳S組はもうだめだということは確かだな。

牝馬クラシックについて少しだけ。桜花賞に関しては、ディープインパクト産駒がよいかんじかな。そのなかでは、個人的にフェアリーSの1、3着の2頭を注目していきたい。

(成城比丘太郎)





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2018年01月12日

理想と現実(えせエッセー)



『神のみ』こぼれ話。

桂馬の理想(二次元)と現実(三次元)。


本サイト(1/3付け)において書いた『神のみぞ知るセカイ』感想記事のこぼれ話というか、書ききれなかったことを記したいと思います。

桂馬において理想(二次元)と現実(リアル―三次元)は峻別されているようです。彼が両者の差に絶望しているといっても、現実から目をそらして理想のみを追っているわけではありません(桂馬自身は、自分が理想だけを見ていると思っているようですが)。もし理想主義的な傾向が強いとしても、けっして現実とのバランスを崩しているわけではありません。そのことは、彼が〔苦しみながらも〕現実の生活を送っていながら、理想とそれとのあいだに平衡をきちんと保っているのを見たら分かります。桂馬が現実に絶望しているのは、それを知悉している〔と思いこんでいる〕からです。つまり、彼は現実の基盤上に理想の生活をおくりながらも、また一方で理想を極めようと徹底した現実〔という観念の〕排除をするからこそ、反転して、現実がどういったものであるか分かるのです。

むしろ現実(←桂馬が言う)に生きている人間こそ、時に理想を語り、時に現実へ沈滞し、曖昧な折衷主義を〔無意識下に〕標榜し、彼からすると場当たり的な生き方しかしていないように見えて、そこが現実への絶望を彼に促しているのかもしれません。桂馬の理想主義は、けっして現実逃避の裏返しではありません。彼はきちんと理想と現実との間に線を引いて、理想に足を踏み入れながらも、現実を見据えているのです。桂馬以外の人間が生きる世界は、理想と現実のバランスがとれなくなってしまった〔現実に生きていると思っている〕人間たちがとる、一時的な理想〔というまがい物〕への避難場所でしかないように、桂馬には映っているのかもしれません。要するに、彼らが送る生活は、理想と現実の奇妙な混淆物なのです(それが普通の生活なのですが)。

だから、桂馬が住まうべく努力する、本当の理想〔の世界〕へは、追随する者のいない孤独な道となってしまいます(彼が「自分には絶望していない」と言うのは、このことと関係するのです)。彼が現実にゲーム攻略という理想をもちこんだとき、その考えを理解する者はいたとしても、劇中で同じ道を歩もうとする者は、そう出てこないでしょう。桂馬を「落とし神」として崇める(?)不特定多数の信者(ファン)や、彼に注目するギャルゲ業界のことが出てきますが、桂馬がそのことを詳しく知ることはないので、彼の孤独は一応その体裁を保つことになり、またそのことで彼の攻略の無二性が一層強調されるのです。

しかし、彼が追い求める理想という姿(キャラ)も、劇中では〔登場キャラと比べて〕味気のないように見えてしまい、むしろ現実のキャラ(←視聴者からは二次元)の方がゲームキャラのように見えてしまうのは、先の記事でも書いたことです。そうした中で興味深いゲームキャラが登場します。その子は岸本四葉(よっきゅん)です。彼女の見た目は、もし視聴者側の世界にいたとしたら、ゲームキャラとして、かなりのデフォルメがなされているように見えます。桂馬は彼女の性格面などに惹かれているようですが、このよっきゅんにはそれ以外の重要な役割が、この『神のみ』に関してあるようです。よっきゅんはその見た目からして、劇中三次元と二次元との差を、受容者に改めて明確にさせるような機能をもっているようなのです。また、すぐバグるゲームが登場しますが、これなどは現実の世界の不条理さを反映しているようです。このように、『神のみ』内に登場するゲームは、なにかしら現実と理想の間に立つ指標のようなものとしての機能を果たしているように思えます。それらこそ、時に理想(二次元)と思わせるキャラが、劇中で実際には現実(リアル―三次元)であると、視聴者に立ち返させる効果をもっているのです。

(成城比丘太郎)





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