もともとseesaaブログで始めた「怖い本」ですが、独自ドメイン「http://scarybookplus.com/」に移行しました。最近、スマホの広告がウザいとの共同制作者の移行でこのサイトの更新はストップしていますので、ぜひ本サイトへ遊びに来てください。こちらで更新していた内容も本サイトで更新予定です。

2018年03月12日

闇の世界 〜サイト紹介

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十分有名だと思うのだが、無限回廊というサイトがある。

昔、何気なく読んでいたのを思い出したので、紹介してみたい。

と、言っても紹介は簡単だ。過去、日本であった主な殺人事件の内容をテキストでまとめられているだけである。サイトの構造もシンプルだし、記述そのものも小説ではないので、怖がらせようとするような様子はない。

しかい、これが予想以上にヤバい。事前に事実だと知っているからかもしれないが、とにかく、軽い気持ちで読むのはお勧めできない。私も少し読み返してみたが、頭が痛くなってきた。「津山三十人殺し事件」や「女子高生コンクリ詰め殺人事件」「松本サリン事件」など、事実が羅列されているだけだが、その淡々とした記述に吐き気がする。

私はホラー小説は好きだが、それは恐怖を娯楽や芸術に変換しているからであって、人間の生の残虐性を好んでいるわけではない。「世の中にはこういう怖い側面もあるかも知れない」というのは楽しめるが、「こういう恐ろしいことがあった」というのは少しも楽しめない。だから、戦争の記録や闘病のドラマなども嫌いだ。恐怖はあくまでフィクションの世界に留まっている間だけ美しいのであり、それが顕現してしまえばただただ、醜い。

とにかく、日本の主な残虐事件を俯瞰できるので、ホラー好きな方には一見の価値はあると思うのだが、その辺のホラー小説とは、立ち位置が全く違うので、本気でトラウマになる可能性があるので注意が必要だ。真の意味での閲覧注意という奴だ。

こんなことは考えたこともなかったが、この年になってみると、願わくば全ての殺人事件がフィクションであってほしい。人生は確かにシビアな側面が強いが、それだけに、少しでも、誰かに、そう思わせないような、そんな力がもっとあればいいなと思う。偽善かと思いながら、花粉に苦しみながら、こんなに危険なサイトを紹介しながら、少しだけそう思う。

(きうら)






posted by 北川商店 at 20:26| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

TVはどうした!?

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最近ではないが、テレビ番組というものを見なくなって久しい。インターネットがない時代は、それこそ朝から晩までテレビばかり見ていたが、全く観る気が起こらない。理由は単純だ。たまにテレビをつけると

・飯を食っている
・その辺をブラブラしている
・出演者同士で内輪の会話を楽しんでいる

ことがほとんどだからだ。これをわざわざ見る必要がどこにある。たまにテーマを絞ったバラエティやドキュメンタリーもあるが、大勢がこうなので、わざわざ砂金を拾うためにドブ浚いをしようとは思わない。ネットで興味のある映像を探す方がマシなはずだ。

なぜこうなったのか。それは視聴者側の過剰な「上品さ」を求める姿勢にもあると思っている。昭和礼讃者ではないが、あの時代はいい方も悪い方も、ぶっちぎりに振り切っていて、ポルノから差別用語まで、何でもござれであった。

確かにあの時代の反省に立って、よりよく改善した結果なのだろう。あからさまな差別は減ったし、テレビによる印象操作もやりにくくなっただろう。ただ、一緒に活力も奪われてしまっていて、今の番組はほとんど吸い殻のようなものばかりだ。

どこそこの食い物がうまかった、誰それの発言が気に障った、どこのどいつが不倫した、あそこの温泉が素晴らしいとか、それが重要な情報か? ニュースですらそういう取り上げ方をするし、速報性ではネットの後追いをしている場合も多見する。

情報の重複も酷く、同じ番組で同じ話題を何度も取り上げるのは止めて欲しい。金メダルはいいが、それは本番一回きりの放送でいいし、振り返るなら、後でまとめてやってくれ。同じ局で時間帯を変えて同じ放送を何度もするのは、省力化というやつなのか。どうせ録画されるのだから、一回で十分だ。

結果的に、一部のニュースと純粋なスポーツの中継、興味のあるドキュメンタリー以外は観なくなってしまった。これでもコント番組やクイズ番組をかじりつくように見ていたのだがなぁ。

動画は好きだ。動画には可能性がある。速報性も高い。メディアとしてのポテンシャルは高い。ただ、製作者たちがそれを持て余しているように見える。いっそ、創作的な放送は一日6時間くらいの番組放送にして、それ以外は日本の各地の風景でも「日本の町」という題で延々と流していてはどうか。視聴者が勝手に発見してくれ的な。そうすればもっと余裕が生まれ、斬新な番組を考える時間も出てくるだろう。

ただ、空白を埋めるだけの映像なら、テレビを消して、窓の外でも眺めていればいいのだ。変わり映えしないのは同じ。

(きうら)






ラベル:きうら エッセー
posted by 北川商店 at 07:44| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする