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2017年12月26日

仁王 Complete Edition(PS4/コーエーテクモ)



・和風ダークソウルとしての高い完成度

・独自の気力システムに癖あり。難易度は高し。

・コンプリートエディション(DLC全部入り)でお得な価格

おススメ度:★★★★☆


今更の紹介になるが、実はこのゲームは発売日に買って100時間ほど遊んでクリアしたのだが(その時点で売った)DLCまでは遊んでいなかったので、今回、コンプリートエディションを買いなおして遊んでみた。

簡単に言えば、ダークソウルというアクションRPGのフォロワー的ゲームで、舞台設定が日本になっている以外の基本システムは同じ。ダークソウルをご存じない方に説明すると、戦闘での駆け引きを楽しむ高難度のアクションとシビアなRPG要素が合体した唯一無二の完成度を誇るゲームで、デモンズソウル、ダークソウル1〜3、外伝的なブラッドボーンと合計5作が発売されている。

雑魚的からして強く、下手すると2発攻撃を食らうとやられる。いわゆる「ごり押し」が通用しないので、回避や防御が重要なゲーム性で、「○○無双」などに慣れた方には面食らう程、まどろっこしいだろう。ボスはなおさら強く、一回戦っただけでは絶対勝てない。ただ、相手の弱点を見つけると意外に簡単に攻略できたりするのが面白い所。試行錯誤しながら、強敵と渡り合っていくのが、このゲームの醍醐味だ。

本家と違うのは、必殺技のような無敵攻撃ができるところ。雑魚敵を倒してゲージをためて、九十九武器を発動すると一定時間特殊な効果がついてダメージも受けない状態になる。これが本家と比べると少し難易度を下げてくれているが、ボスもそれを込みで強さが設定されているので、それでも手ごわい。

また、もう一つの違いは微妙に追加効果が違う武器や防具などのアイテムを頻繁にドロップするので、ハックアンドスラッシュゲーム的要素もある。要するにより強い武器を求めて敵を倒すというウイザードリィなどから連綿と続く、麻薬的要素が組み込まれているのである。

もう一つ、気力(スタミナ)を回復させるという概念があり、これが本家にはないので、ちょっと癖があると思う。ワンアクション追加されている感じだ。

物語は基本、関ケ原の合戦前後を舞台に、妖怪退治を外国人の主人公(ウィリアム)が行うという内容。時代考証はそれなりにしっかりしているので、有名な武将が現れると歴史好きにはテンションが上がるだろう。歴史が苦手な私でも感動する登場人物のラインナップだった。

この手のゲームは作るのが非常に難しいのか、今のところ、ちゃんとしたフォロワーゲームはこれだけ。海外にはいくつかあるようだが、2Dのインディゲーム「ソルト・アンド・サンクチュアリ」が近いテイストだろう。というか、むしろ逆に似たゲームがあるなら教えて欲しい。それほどソウル系のシステムは優秀な出来栄えだ。

と、いう訳で実に普通な感想になってしまったが、少々癖のあるスタミナ管理にさえ慣れてしまえば良くできたゲームだと思う。ソウルシリーズ好きならぜひ、食わず嫌いせずに遊ばれてみてはいかがだろうか。

ただし、やはり「死にゲー」であることには変わらない。ただ、遊んだ時間だけ主人公が強くなっていくという「コツコツ積み上げる」実感が味わえるのはいい。私のようなマルチプレイが苦手なプレーヤーにはうってつけのゲームと言える。実際の人生と違ってマイナスの方向には絶対戻らないのもいいと思う。そこがゲームのいいところ。

(きうら)









posted by 北川商店 at 18:56| ★★★★☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

アウグスティヌス(出村和彦/岩波新書)〜シリーズ読書メモ(10)



「心」の哲学者アウグスティヌスについて

大雑把なまとめです

オモシロ度:★★★★☆


アウグスティヌスの生涯が簡単に分かる本です。たまに昔の人のことを読んでいると、この人は本当にこの世に存在していたのだろうかと思ってしまうことがあります。アウグスティヌスもそのうちの一人でした。本書を読むと、ローマ帝国末期に北アフリカで生まれたアウグスティヌスという人物が浮かびあがります。アウグスティヌスの一生は思想(思索)と絡み合っています。キリスト教(聖書)への不満からはじまり、キリスト教批判への批判に終わるまでの人生です。

アウグスティヌスは母モニカの影響でキリスト教に近付くも、聖書にあきたらないものを感じ、マニ教に向かいます。この頃のマニ教徒は、自分たちこそ真のキリスト教徒といっていたようです。その後アウグスティヌスは、紆余曲折を経てローマ、そしてミラノに向かうことになります。この頃彼は、伴侶と別れています。驚いたのは、当時、女性なしに過ごす自信が彼にはなかったということです。ただアウグスティヌスにとって、情欲それ自体よりも、そのことに同意する自分の意思が問題であったのです。マニ教的な考え(=性や肉体そのものを蔑視する考え)を脱して、「キリスト教への回心」に向かうアウグスティヌスが求めたのは、「神のことば」を真に理解する「心」という自己でした。彼の宗教的な理解は、知的なものとともに「心に響く感性を兼ね備えている」ものでした。「心」とは、(プラトン派から読みとった、自己の内面性という空間からくるもので)それを通して超越者へと向かう回路のことです。

アウグスティヌスには、現在までに膨大な数の著作や書簡等が遺されています。それだけ同時代からのアウグスティヌス評価が高かったことの証左だということのようです。その中で、『告白』は最も有名な著作です。この作品は、「過去の打ち明け話」に類するような回顧談的なものだけではありません。アウグスティヌスにとって『告白』は、「弱い自分への神からの無償のあわれみとゆるしに感謝し、そのような恵みをもたらす神の偉大さを賛美することである。」ようです。

本書後半部分について簡単にまとめますと、アウグスティヌスの様々な論戦がすごいということです。悪と自由意思をめぐるマニ教への論駁を経て、後半生はドナトゥス派との戦いやペラギウス派との論争が繰り広げられます。

ところで、富松保文『アウグスティヌス―<私>のはじまり』(シリーズ哲学のエッセンス)では、アウグスティヌスの生きた時代に、個人の「自我(内省的な意識)」がうまれたという説を紹介しています。アウグスティヌスの自省的な意識が「内」へと沈むものの、それは閉じた世界ではなく、「外」との差異で発見されるものであるようです。「内/外」は通じているのです。その「内」のはじまりは「内」であることを超えています。なぜなら「内」のはじまりは、どこまで突き詰めてみても捉えられないからです。そうして「内」を超えたところに「神」をみることになるのでしょうか。(No.008-Seijo)

(成城比丘太郎)




アウグスティヌス 「心」の哲学者 (岩波新書) [ 出村和彦 ]





posted by 北川商店 at 00:00| ★★★★☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

スーパーマリオオデッセイ(任天堂/Nintendo Swich)



・アイデアに満ちた3Dマリオ新作

・純粋に楽しさを追求

・マリオとは実に30年の付き合い

おススメ度:★★★★☆


ファミコン版・ドンキーコングを遊んだのが、小学校3年生だったので、それから約30年間、マリオの出てくるゲームを数年おきに遊んでいることになる。Wii時代の2Dマリオが連発された時は限界を感じたし、スーパーマリオギャラクシーの2は途中で飽きた。では、このオデッセイはどうか。因みにオデッセイは放浪記といった意味があり、ストーリー的にはさらわれたピーチ姫(!)を追って世界中を放浪するというストーリーになっている。

任天堂には東京開発という技術・センスがトップの制作チームがあり、このオデッセイもその精鋭による作品だ。まだ、クリアには至っていないが、遊んでみた感想は、とにかく面白いと思える要素を惜しみなく投入した作品だということ。今回のキモとして、キャプチャーというアクションがあって、簡単に言うと敵に乗り移るのだが、このアクションのおかげで、「ジャンプして敵を踏む」というマリオの基本アクションの幅が劇的に広がっている。乗り移れる対象は多彩で、それぞれの操作も面白い。CMで有名な恐竜やファイヤーボールにさえ乗り移れる。まあよくこんなアイデアを実現したなと感心する。

世界は比較的狭い箱庭だが、仕掛けが満載で、すべて攻略するには結構頭を使う。クリアするだけなら、ほとんどストレスなしに楽しめるのもいい。ライトユーザーにとっては、楽しいテーマパークのアトラクションを遊んでいるような感覚になる。

ストイックなアクションを求める人には一見、不向きに見えるが、隠しコインなどのコンプリートまで考えるといくらでもディープな世界を堪能できるという仕組み。次から次に用意される豪華な仕掛けにひたすら身を任せて楽しむというスタイルでいいだろう。正直ゲームを遊ぶには年齢的に抵抗があるようになってきたが、それでもちょっと遊んでもあっという間に1時間は過ぎてしまう。これぞゲームオブゲーム。コンピューターゲームの原点を見る思いだ。ガチャ頼りのスマホゲームはやはり私の思い描くゲームじゃない。

2Dマリオへのリスペクトも忘れておらず、古いファンにもニヤリとできる演出が盛りだくさん。この辺のさじ加減がうまい。3Dに慣れた小学3年生の娘が2Dマリオのシーンが苦手というのに隔世の感がある。昔はそれしかなかったのだが、これも時代の流れか。

総じてきわめて楽しいゲームだが、一炊の夢のような儚さもある。この楽しさはせいぜい10時間程度のもので、そのあとはまた現実の世界が待っている。華燭の夢も刹那に覚める。私が小学生だったらどんなにかいいかと思う。でも、大人(おっさん)になった今、この美しい幻想世界の向こうに、現実の世界が透けて見えるのも事実だ。

それにしてもSwichのゲームはゼルダと言いマリオと言い、粒ぞろい。あとはポケモン、どうぶつの森、メトロイド、2Dマリオ、ヨッシー、カービーなどで来年はつなぐのだろうか。年末商戦はこれとゼノブレイド2を加えて盤石の任天堂だが、来年以降の展開は気になる。来年の目玉は何に持ってくるのだろうか。ポケモンか、隠し玉があるのか。

ドット絵のマリオからずいぶん長い旅になった。いつかは終わるこの旅はどこまで続くのだろうか。今はこの美しい夢の世界で、ひと時、現実を忘れて楽しんでみたい。

★5にしなかったのは、革新性という意味ではゼルダBoWほどの衝撃がなかったからだが、とにかく楽しいゲームであることは間違いない。全国のサンタさんはこれとスプラトゥーン2かゼルダ、マリオカートでいいのではないかと思う。小学3年の娘と交互に遊ぶのもそれはそれで楽しい体験だ。

ゲームは楽しい。でも少し、私は歳を経てしまったのかも知れない。どこか冷めた目でこの感動を見ている。人生には行き止まりと思える壁が必ずある。これを昇るか諦めるか。そん気分で遊ぶ、複雑な中年のマリオオデッセイ評でした。
(きうら)



ラベル:きうら ゲーム
posted by 北川商店 at 00:00| ★★★★☆ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする