中也の詩から、中也の人生を追う。
佐々木幹郎の詩論としても読める。
おススメ度:★★★☆☆
詩人である佐々木幹郎が、中也の作品や新資料をもとに、中也の生涯に迫っていく。特に、中也の詩を細かく丁寧に読み解いていく様は、どこか解剖を見ているようだ。まずは、学生時代の短歌だ。石川啄木に影響を受けたとされる作風は、単純ながらも清新である。大正時代、天才主義の流行をもろに受けた中也はこの時期、「時代の新しい波長と共鳴しようとする、青春前期の野生児そのものであった」のだ。
京都での長谷川泰子、富永太郎との出会い。特に富永太郎との交流は彼に多大な影響を与えたようだ。富永の教養にも物怖じせず、「富永よりも自分のほうが上等である」という意識を持った中也は、「自分と異質の他者と出会ったとき、本能的に浮かび上がる自分の資質。そのことに興味を持ち、興味を持つ自分に自信を持っていたのだ」、これが中也の「原型的な思考様式であった」
中原中也の詩の想像力は翻訳言語と絡み合いながら進んだようだ。「中原中也が詩のなかで「歌」や「声」を目指していたと言っても、それは実際に外界に響くものではなく、文字の上で成立する「歌」と「声」であるということだ。」このことは興味深い。文字の上の(無音としての)音と、実際の朗読とは違うということだ。
中也は友人たちの前でよく朗読したようだが、誰もまともに聞いていなかったようだ。だが、その友人たちの回顧談では、中也の声が印象に残っているらしい記述がままある。ここで、少し長いが、佐々木の「朗読」についての引用をしてみる。
「詩の朗読というものは、読者(作者もまた、作品を書き終えた後は読者の一人である)の自由なやり方でいいのであって、一定の決まりがあるわけではないのだ。ただ、優れた朗読は、朗読者が聴衆に向かって、自分の声を中心にして一方的に声を発するのではなく、まず、周囲の音(ノイズ)を聞くことから始められることが多い。小鳥の声、樹木のそよぐ音、遠くで泣く赤ん坊の声、聴衆のささやき声、衣擦れの音、それらのかすかなノイズのなかに、あるいはその音の隙間に、自らの声を差し出し、それと共鳴するように言葉をすべりこませるのだ。そして、聴衆が何人いても、その場にいるたった一人に届くように声を出すとき、もっとも理想的な詩の朗読空間が成立する。しかしそれは一回性のものであって、つねにそのような朗読空間が実現できるとは限らないのである。」(p191)
中也の詩に擬態語がでてくるが、彼はそれを朗読する時に、いろんな抑揚で声を発し、聴衆を楽しませたのだろうか。
佐々木は中也の詩の推敲過程から、中也の詩人としての生涯をみていく。愛息を亡くしてからの中也の晩年は、かなしいものがある。そして、新資料「療養日誌」の発見によって、新たな中也像が浮かび上がる。病人と詩人という立場の、弁証法的な発展がみえる気がする。
最後に、ある創作者の態度表明ともいえる引用で終わります。
「一人の人間が表現者あるいは創作者としてあるとき、作品を作る行為はある意味で狂気を孕んでしまうことがある。幻覚のなかにいるときがある。常識が通用しない世界へ、精神が飛翔するからだ。彼はそのことによって孤立する。また、ここで孤立しなければ、逆に世界各地を蜃気楼となって彷徨うような作品を生み出すことができない。独創的な創作行為とはそういうものだ。」(p277)
う〜ん、狂気と紙一重の創作者というのは怖いなぁ。(S-No.007)
(成城比丘太郎)

