普段から、他人の書いた怖い話について、ケチを付けたり喜んだりしている当サイト主任管理人のわたくし、きうらですが、人生で一度だけ、怪談といえる体験が有ります。以下、その体験をもとに短文を書きます。
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その日、大学3年生だった私は、コンビニでのバイトからカラオケ、カラオケから大学、そして再びバイト、さらに学校と、疲労の極致にあった。時に1995年。小室サウンド全盛のころ、誰もがtrfや安室の歌を聴いていた時代だ。
その日、夜半になって四畳半の自室のベットに転がり込んだ私は、未だ若さに溢れて不眠症の呪いにかかることもなく、瞬間的に幸福な眠りに落ちた。眠りかけにCDをかけたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番も既に尽き、冬の田舎の一軒家は物音ひとつしない静寂の世界だった。
ふと、目が覚めた。
体が全く動かない。完全に覚醒し、明るい蛍光灯が見えるのに、指先一つピクリともしない。その時点では、非常に楽観視していた。「金縛りは疲労で起こる」と。
しかし、この硬直状態はなってみれば分かるが、意外に苦しい。とにかく、体が動かないのに意識が覚醒しているわけだから、不自由この上ない。眠ることもできず、起きることもできず「どうしようかな」とのんきに考えていた。
と、何かが足の上に乗った。
見えない。正確に言うと、首が動かせないので、蛍光灯しか見えないのだ。しかし、間違いなく、何者かが足の上に乗った感覚がある。しかも、それは徐々に首の方に向かって移動を開始した。
この状態が「半覚醒の金縛り」状態であることはすでに分かっている。では、足の上に乗って首を目指してくるものは、現実に存在するのではないかという疑問が頭をかすめた。
途端に怖くなった。何かが昇ってくる。ふくらはぎから太ももへ、太ももからみぞおちへ、そして胸へ。
その姿はまだ見えない。
その段に至って、ようやく私は恐怖した。正体不明の物体が、私を「襲おう」としている。
胸から首へ、首から顔へ。しかし見えない。正体がわからない。明るい蛍光灯。音が全くない。
その物体は私の顔の上に達し、ぴたりと動きを止めた。そして、私の耳を噛んで、鳴いた。
ニャーオ。
私は恐怖のあまり絶叫しようとしたが、金縛り状態ではそれも叶わない。「猫が来た! 死んだ猫が来た!」
「死んだ猫が動けない私に襲い掛かってきた!」
目が覚めると朝だった。恐怖の残滓ははっきりと残っていたが、別に耳たぶに穴は開いていなかった。それでも、はっきりとあの生々しい鳴き声は思い出すことができる。
ニャーオ。
ちなみに、母が猫嫌いで猫など飼ったこともないし、動物をイジメたこともない。一夜明けて冷静になってみると、なぜ、私が猫にあのような仕打ちを受けなければならないのかはわからなかった。分かるのは朝の6時15分発の電車に乗らないと、朝一の中小企業論のゼミに遅れるという事実だけだった。
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と、リアル怪談らしく落ちは全くない。その後、不幸になったこともないし(単に関連が理解できていないだけかも)、再び猫は現れなかったが、確かにあの時の私は「死んだ猫」を感じたのである。
結論から言うと、幽霊はいるし、見える。ただし、それは見えると思う人にしか見えない。ただ、それは言葉によって他人に感染させることができるのが厄介だ。あなたの近くに「霊が見える」などという人間がいたら気を付けたほうがいい。彼、あるいは彼女には確実に「見えて」いる。しかし、それは、絶対的な存在ではないので、見えない人は信じなければ、やはり見えないのだ。ただし、それは言葉によって相手に同じ幻覚を共有させることができる。これは事実だ。つまり、呪い或いは祝詞は有効なのだ。
考えてみてほしい。毎日、死ねと言われ続けた子供の精神状態を。もし、その子供が不幸なら、呪いは成就してしまっている。
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前日、戯れに手相占いを受けてみた。曰く「40代はお金はないが50代は成功する。そして、あなたは長生きする」と言われた。そりゃそうだ。10年先の事なんて、適当に幸福な未来を言っておけばいい。そして私の身なりを見れば、40代が幸福でないことは誰でもわかる。流行りのビッグデータを活用した、簡単な誘導尋問だ。だから私はニコニコして聞いていた。たぶん相手もプロだから察したのだろう。1000円払うと「あなたも占い師になりませんか?」と言われた。
まあ、それも面白いが、理屈が同じなら小説家の方が好みだな。
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血液型やグルコサミン、マイナスイオンなど、なぜそんなものが信奉されているのか、理解に苦しむことも多いが、要は世界はイマジナリーなものによって構成されているということだ。あると思えば何でもあるし、いると思えば猫の幽霊もいるのだ。
私の実感として、幽霊なんぞ怖くもなんともない。この不眠症で胃炎、痛風で全身肩こり状態の現状の方が余程恐ろしい。死んだ猫がその仲間に加えてくれるなら、喜んで川を渡ろう。などということを書くうちに残酷な明日は油断なくやってくるのである。
怪談なのかエッセーなのか愚痴なのかよくわからないが、この辺でこのお話は終わりにする。まあ、大丈夫とは思いますが、呪いは感染すると言いますし、
あなたに今夜、死んだ猫がやってきませんよう……
これがいわゆる呪いであり、かつ私の悪趣味な冗談です。ニャンコはニャンコ。素直に可愛がってあげましょうね。
(きうら)

