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2018年02月13日

死について 〜死んだらどうなるかの個人的考察

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人は死んだらどうなるのか? これは誰もが一度は思う疑問である。このブログを読まれる皆さんも一度は考えられたことはあるのではないだろうか?

私は幼い頃は単純に天国と地獄があって悪いことをすると地獄に落ちるという例の「閻魔大王」的ストーリーを信じていた。これには祖母の話や、幼少期に読んだ水木しげる先生の「妖怪大図鑑」などが影響していると思う。また、昨今、著者が懺悔していたが、ノストラダムスの大予言なども信じていて「全員死んだらどうしよう」と思ったのが、小学3年生の頃であった。

その後、私は無知蒙昧を武器にオカルトに傾倒し、中学生の頃はひそかに雑誌「ムー」などを購入し「物の腐らないピラミッド」や「幸せになれる呪文」などを実行する純朴でイタイ少年であった。まさに黒歴史そのものである。しかし、その根底には、人間は死ねば地獄か天国に行くという単純な世界観は一貫していた。

高校になると流石に知恵がついてきて、他者との差異を明確に感じるようになると、なぜこのように世界は成り立っているのかを考えるようになった。そうなると、これまでの「天国-地獄」理論は崩壊することになる。どう考えても世界は物質的なもので構成されており、その時すでに脳の働きもある程度解明されていたからだ。科学という実証可能な世界では、精神・宗教的な「天国-地獄」は存在理由を失い、同時に超常現象に対する私の熱意も急速に冷めていった。つまり「起こらないことは起こらない」のである。

私の仏教観を崩壊させたのは、大好きだった祖母の一周忌の酒宴の席であった。そこにきた坊主が酒は飲む、料理は食い散らかす、笑顔で喚き散らすと、俗人の塊のようで、こんな人間に拝まれても祖母は(仮に天国があったとして)絶対に報われないな、と思ったからである。

ただし、仏教やキリスト教を含む宗教を否定するわけではない。私はこれは生きとし生ける人間の魂の救済装置だと考えている(支配装置ともいえるが)。よって単純にまとめれば「信じる者は救われる」のであって、今現在、宗教を信じておられる方を否定するものではないし、むしろうらやましく思う。

そうして私は大学生になり、たくさんの本を読んで、通俗的な唯物論を信奉するようになり、死後の世界を信じなくなってしまった。敬虔と教義を捨て、一見科学の世界に身を投じたように見えて、実は信心という重要な精神構造を失ったのである。これによって、孤独に打ち勝つすべを失い、その後20年に渡って罰を受けることになる。今でも孤独には防御力がない。これは「信じるもの」がないからだろう。

これは簡単に言えば「神」の喪失である。神がいなければ、天国も地獄もない。即物的で空虚な世界である。まだ、死んでから天国で憩えると考えられる方が何倍もマシだ。

そして、本題に戻る。「死んだらどうなるか?」

私は、死んだら単純に消滅すると考えている。基本的にはこの文章を書いている頭脳の働きも微弱な電流の反応であるから、そのエネルギー源が断たれれば、消えるしか無かろう。天国にも地獄にもいかない。怪談で、「死ぬ瞬間の恐怖が一生続く」というのを読んだことが在るが、そうであるなら、その恐怖を見せる「微弱なエネルギー」が世界中に溢れているはずであり、それもない。

結局、よく言われるように死後の世界は生きている人間にしか存在しないのである。もちろん、死んだことがないので、何か特別なメカニズムで「幽霊」として生きることはあるかも知れないが、それなら、日本では130万人も一年で死んでいるのだから、世の中は幽霊だらけである。戦後だけをとっても7000万人の死者、これまでの累計や、世界的な統計を取るのであれば、世界は幽霊や亡霊だらけであろう。

「だから」という話をすると、結局、今生きているこの状態が全てであるのだから、スティーブ・ジョブズが言ったように「今日があなたの人生最後の日だとしたら、今日と同じ行動を取るだろうか」という気持ちをもって生きないといけないということだろう。それも分かる。神無きものにとって信奉すべきは自分の「現在」であり、それを信じ、それに賭けねばならない。結果はどうでもいい事だ。末期は上記の通りであろうから、いくら財を築こうが、酒池肉林の日々を送ろうが、微弱な電流の変化に過ぎないのである。

そして、今、私は公私ともに苦境にあるが、見方を変えればこれで「当然」なのであり、別に嘆く必要もないのである。先日、うまくいかないことがあって落ち込みかけたが、よく考えてみると上手くいかないことばかりなので、今更落ち込むのも変な話だ。それを淡々を受け入れ、今を生きるべきなのだ。

そして、私の今思うささやかな望みは、死んだあと「とても涼しい公園で、私の好きだった人や友人や家族と、ベンチに座ってどうでもいい話をすること」「夢(悪夢)を見ない完璧な眠りを与えてもらうこと」「できれば天国で仲間たちと競馬を楽しみ、小説を書きたいこと」。天国の競馬にはさぞや豪華なメンバーが走っていることだろう……

と、いうことを死ぬ瞬間に「一瞬だけ信じられれば」それでいい。今、私は、それ以外は何もいらない。本当にお金も健康もおいしい食べ物も何もなくていい。死の直前に真っ青な晴天と美しい公園が頭を掠めてくれればそれでいい。天国もいらない。そんなのは幻だ。死んだ知人たちに拍手で迎えられることもないだろう。

もっと言えば悪夢を見ずにひたすらゆっくりと眠りたい。目覚めなくてもよい。それは「死」なのか、それとも?

(きうら)






ラベル:きうら エッセー
posted by 北川商店 at 07:27| エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

死にかけた話(実話)

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私はすでに40年以上生きている状態ですが、この年になると死にかけたことは何度かあるわけです。一応思い出すだけで4回あります。

1回目。3歳か4歳の時。当時住んでいたボロアパート。2階に両親と住んでいた(らしい)のですが、そのアパートの2階で私は「自転車」に乗っていたそう。そして、何を思ったか、階段の方に見事にダイビング。
普通なら大怪我になっていたはずですが、私は無傷でした。なぜかというと、父親がその階段の下で車を洗車していたからだろうです。つまり、自転車と一緒に落ちてくる私を受け止める父親、そして成功するミッション。想像すると、中々素晴らしい絵図らですが、残念ながら記憶にありません。

2回目。小学校の時は、夏になると、なぜか瀬戸内海の宿に家族で海水旅行に行っていました。そこで、泳いでいた私は気が付くと、遥か沖合にいたそうです。叔父が慌てて助けに来てくれたそうですが、海の底に沈んでいたとかなんとか。これも残念ながら記憶はありませんが、夏になるとやってくる一大イベントとして楽しかったです。インターネットなど影も形も無い世界、そこに行くまで何があるか分からない時代。残念ながら、記憶になく、楽しい思い出だけです。

3回目。激務に追われていた30代、娘を保育所に送り届ける途中、横から製薬会社の車が私の三菱アイに突っ込んで来ました。生まれて初めて救急車で運ばれましたが、本当に痛いのは、廃車になったその車と、未だに娘に「パパは運転が下手」と思われていること。疲れていたんだよ、本当に。

4回目。これは最近常々。人生の楽しいことと辛いことを一通り経験した現在、何を目指していいのか分からない。一応、目標はあるけれど。かつてマラソン選手の有森さんが、オリンピックで金メダルを取った後「目標が無くなった」という理由で死にたくなったそう。目標=希望と言えるかもしれません。諦めを前提に、希望と現実の間で揺れ動く日々を送るようになって、自分も大人になったな、と思う次第です。

以上、つまらない体験談ですが「死」について。最期はどうかなぁと思いますが、大人になると、たぶん、みんな多かれ少なかれ思うこと。その時は「風向きはいきなり変わることもある/一人で立ち上がる(ルキンフォー/スピッツ)」を思い出して頑張りましょう。

では明日も、皆さん「お元気」で!



ラベル:エッセー きうら
posted by 北川商店 at 06:00| エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

個人的JRA賞と、2018年クラシック-Part1(えせエッセー・競馬)

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「2017年度JRA賞」が先日発表されたが、年度代表馬はキタサンブラックと、文句なしの受賞のようだが、オジュウチョウサンに3票も入っていて、そこは興味深かった。もしキタサンに障害練習させて、オジュウチョウサンと走らせたらどちらが強いだろうか(間違いなくキタサンだろうな)。そのキタサンブラックはこれから繁殖に入るが、どんな仔をだすだろうか。血統的なことは分からないが、兄のショウナンバッハがダートで勝ちあがってきたように(園田で)、ディープインパクトやその産駒〔の種牡馬〕と違い、ダートで走る馬を出すやもしれん。

さて、今回は本場(?)の賞と違い、(お世話になった馬を中心に)個人的JRA賞に選ばれた馬を勝手に決めていきたい。

まずは、最優秀マイラー。これは間違いなく、「ペルシアンナイト」。この馬は昨年G1の比較的人気薄において、非常にお世話になった。もし皐月賞を勝っていたら、最優秀3歳牡馬だったろうな。

次に最優秀逃げ・先行馬。これは普通なら、マルターズアポジーなんだろうが、個人的には「ロードヴァンドール」。金鯱賞で万馬券をプレゼントしてくれただけだが、やはりこれ。日経新春杯でも自信の本命だった(が、ガンコを切ってしまった…)。

最優秀個人的4歳以上牝馬。これは「ゲッカコウ」。もうほんまに馬券でお世話になりまくりだった。愛知杯では残念だったが、これで次も人気薄になるだろう。この馬は牡馬と混じった方が走るかもしれないから、今年も期待できる、かも。ゲッカコウとロードヴァンドールは、走っても一番人気になりにくい地味な馬だから、特に馬券的にはおいしいな。とくに日経新春杯は、低レベルのレースだったから余計に評価は下がるだろうし。

最優秀上がり馬。これは、「サングレーザー」でしょう。スワンSからの3戦はお世話になった。今年は人気になるだろうから、おいしくはないが。

去年はルーラーシップ産駒が初年度から勝ち星をいくつも重ね、今年もさらに成長が見込まれそうだし、楽しみだ。そのなかで、アディラートは人気を背負って負けることが続くかもしれないので馬券的には切りやすい(逆に言うと、走る条件を見極めたら買える)。個人的に一番期待したいのが、プリンセスルーラー。カーネーションCでの目覚ましい足をようやく前走で見せてくれた。カーネーションで負かしたブルークランズ(同じくルーラーシップ産駒)が、1000万下をこの前勝ったし、いずれ出世することを期待したい。ただしこれも走るためには条件が必要なので、馬券的には比較的人気薄の時を狙いたい。

そして、ことしのクラシックだが、牡馬は普通ならダノンプレミアム1択なんだろうが、距離が延びたら他の馬も肉薄できそうか。今の段階ではどれがいいか分からないが、ワグネリアンは個人的には疑問符だなぁ。次の走りを見てから決めたいが、なんとなく完成度が高かっただけの馬のように思える。完成度というと、京成杯を勝ったジェネラーレウーノはまだ気性的に完成されてないみたいだが(なんか底知れないものを感じる)、皐月賞直行のようなので非常に判断が難しい。京成杯2着以下の馬の様子を見て決めるか。一方その京成杯より勝ちタイムが遅かった(勝ち馬の勝ち方もいまいちだった)ホープフルS組もこの後の動向次第か。その他、オブセッションやゴーフォザサミットといったあたりも次走の様子を見てからか。まあ、いまさらだが、(牝馬も含めて)札幌2歳S組はもうだめだということは確かだな。

牝馬クラシックについて少しだけ。桜花賞に関しては、ディープインパクト産駒がよいかんじかな。そのなかでは、個人的にフェアリーSの1、3着の2頭を注目していきたい。

(成城比丘太郎)





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