もともとseesaaブログで始めた「怖い本」ですが、独自ドメイン「http://scarybookplus.com/」に移行しました。最近、スマホの広告がウザいとの共同制作者の移行でこのサイトの更新はストップしていますので、ぜひ本サイトへ遊びに来てください。こちらで更新していた内容も本サイトで更新予定です。

2017年12月16日

今年(2017年)のまとめ(えせエッセー)〜本とサッカーと競馬と

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本サイト」2017年下半期の「怖い本大賞」として『まっぷたつの子爵』が選ばれました。もし読んでくれた方がいたらどうもです。これは、とくにホラーというわけではないですし、怖い所が前面に出たものでもないのですが、選評にあるようにまあまあ含蓄のある寓話で、読みやすいものです。それ以外では、全体的に私が紹介した本は「怖い」という範疇からはずれたものも多かったのですが、おそらく来年以降もそうなるかと思います。まあ、おもろい本に出会えたらいいなと思います。

最近はあまりサッカーを気合入れてみなくなってきたけど、今年のJリーグは再び「1シーズン制」に戻り、最後は川崎の逆転優勝(初タイトル)と楽しくみれた。浦和もアジアチャンピオン(二度目)になったり、セレッソがJ1復帰してタイトルとって、なかなかおもしろいシーズンだった。セレッソは復帰してすぐに上位争いしたように、J2のレベルもあがったのだろうか(柏は以前復帰してすぐに優勝したが)。ということは、グランパスは元J1ということで、期待できるのだろうか?

ところで、ワールドカップについてはスルーするつもりだったけど、『デイリースポーツ(12/3付)』の、元日本代表福西の記事を読んで、これは見逃せないと思った。福西はまず、「率直に言って、厳しいグループではない。1次リーグ突破へ、可能性のある組に入ったと言っていい。」これはとてもワールドカップに出た人の分析とは思えない。まず、ワールドカップは(基本的に)厳しいのではないのか。日韓大会〔の日本と韓国に〕は明らかなホームアドバンテージがあったから、その結果はノーカウント。ドイツやブラジル大会は調整的な難しさがあった。唯一実力のみでトーナメントに進んだ南アフリカ大会の初戦(カメルーン戦)なんか、あの大会中一番クソみたいな試合だったから勝てただけで、今回はそれ以上に厳しいんだが。福西は記事の最後を「ベスト8にいくためにも、コロンビアとセネガルに勝ち……(中略)……2連勝して、余裕をもってポーランド戦に臨みたい。」と結んでるが、これはいったいどういう意味なんだろう。楽観的な記事内容を編集部にでも頼まれたんやろか。それにしてもこれは、楽観的を通り越してもはや何も語ってない(考えてない)に等しい。国際Aマッチレベルでの、両国との対戦をみるかぎり、連勝するのはムリとしか思えないんやけど。まずはコロンビア戦。コロンビアは今大会ベスト4以上を狙ってるだろうから、初戦にピークはもってこないやろう。だから初戦をガンガンいくならどうなるかわからないが、それでも南米のチームだから手を抜きはしないやろうなぁ。セネガルには2001年のテストマッチでは手も足も出なかったおぼえがあるから、どちらに勝つのもまあ難しいなあ。それにしても常々福西の毒にも薬にもならない実況解説はどうでもいいと思っていたけど、この記事はちょっとひどい。この時期にプロの解説がするような予想ではない(期待を込めてもう少しがんばってほしい)。

サッカーの記事が長くなってしまったので、あとは競馬のまとめを少し。本年度の年度代表馬は間違いなくキタサンブラックでしょう(有馬で負けても)。その原因(?)は明らかに現4歳世代の(中距離路線での)ライバル不在でしょう。サトノダイヤモンドだけが去年の有馬でキタサンを負かしたが(去年有馬のキタサンはおそらく競走馬としてピークだっただろうから、そこからサトノの強さは測れる)、その他は総じて小粒だった。マカヒキなんかはマイルいったらいいのにと凱旋門のあとに思ったが(エアスピネルみたいに)。今年の有馬でキタサンは、3着をはずことはないだろうが、逆転候補としてはスワーヴリチャードが一番手か。個人的には(馬券的には)人気になるだろうから買いたくないが。それでも今年後半の、3歳馬における古馬混合レースでの成績をみる限り、GI未勝利でもやれるだろうからなぁ(ハーツクライがディープを完封した時みたいになるやろか)。いろいろ不安点(右回り、中山、厳しい流れになった場合)はあるが、この馬は春に無理をしてないので体力的に十分おつりはありそう。キセキのような残念な結果にはならないと思う(当たり前)。そして今年こそヤマカツエースがより上位に来ることを信じたい。

(成城比丘太郎)


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ラベル:成城比丘太郎
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2017年12月11日

怖い本まとめ2017(下)の裏話

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半期に一度、「怖い本」のベスト・ワーストを選んでいるのですが、今回も本サイトで公表しています。同じ内容を書いても何なので、本サイトで触れなかった作品をいくつか、取り上げてみたいと思います。本編は以下のリンクを参照ください。

怖い本体賞2017(下)

本サイトで触れていない作品で、印象に残ったのは、

伊藤潤二自選傑作集

続巷説百物語(後編)

鍵-自選短編集

がまず。伊藤潤二は、私も読んだことがありますが、不条理ホラーと言おうが、とにかく発想が常人の明後日の方向で一読の価値はあり、と思います。似たホラー漫画は無数にありますが、高い画力とオリジナルティのある展開で、楳図かずおに匹敵するホラー漫画家ではないかと思います。

続巷説百物語は、ガチンコの京極夏彦の作品の一つで、私的には著者の最高傑作の一つではないかと思っています。特に後編はその残酷さと言い、仕掛けの複雑さといい、グロさや邪悪さにおいて、比肩する作品がないほどの凄まじさです。その辺のエログロだけが売りのペーパーバック作品とは比べ物にならないクオリティの高さ。続編でなければ大賞でもよかったと思っています。

3つ目の鍵は、筒井康隆入門に最適の一冊。ユーモアのある作品から、真正ホラーまで、多彩なジャンルの短編でその神髄を味わえるでしょう。正直、筒井康隆がメディアに登場したいたころは、毛嫌いしていたのですが、これを読んで見方が変わりました。中々凄まじい短編が待っているので、機会があれば一読を。

その他、クトゥルー作品も多く紹介しました。詳しくは本サイトを読んでいただきたいのですが、今やスマホゲームやアニメにまで幅広く展開されているクトゥルーの原点を探ってみるのも面白いと思います。

その他、「新版 指輪物語<1>」も紹介しました。全ての現代ファンタジーの原点にして、非常に精緻で美しいファンタジー世界。映画もいいですが、原作はさらに奥の深い世界を味わえます。最初はとても入り込みにくい世界ですが、一度はまると、何度でも読み返せる魅力があります。

私が一番好きなシーンは、主人公のフロドとサムがオークたちに捕まったとき、追跡を決意したアラゴルン、ギムリ、レゴラスの三人が集まったところで「人間、エルフ、ドワーフの3人が本気を出したときの力を見せてやるぞ」という旨のセリフを吐くシーン。それまで、色々ないざこざがあった旅の仲間が、自分たちの仲間の危機に純粋に親愛の気持ちと勇気を発揮する様は、静かな場面ですが、言葉にできない深い感動を覚えます。その後、三人は決死の追跡を開始するのですが、熱さが溢れる名シーンです。

その他、本国ではキングと並び称されるクーンツの「ファントム」も、一読の価値がある快作でした。若い姉妹が郷里に帰ると住人が全員怪死しているという衝撃の展開から、ジェットコースターのように展開するアクションホラーです。今日も本屋でクーンツの本を見かけましたが、やはりキングよりは圧倒的に少ないようです。

その他、個人的な好みで言えば、中島敦の作品はどれもクオリティが高く、「李陵」や「山月記」以外にも、ハズレのない作品揃いなので、是非一読を。こんな確かな文章が書けたら、さぞや爽快だろうなと思います。

2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の「忘れられた巨人」も印象深い読書でした。意外といっては失礼ですが、本当に正統派ファンタジーで、実に骨太な作品です。改めてファンタジーの可能性を感じました。賞はともかく、読書好きなら、一読の価値はあると思います。

一方、残念な出来の作品も結構ありましたが、それでも「本」として出版されている以上、一定の「審判」を経ているわけで、好き嫌いは趣味の問題かもしれません。それでも、許せない作品もありましたが、まあ、それはいいでしょう。

どっちにしても本当に怖いのは「現実」以外ありえない、というのが、陳腐ではありますが2017年の実感です。まあ、色々あった一年でした。皆さんはどんな一年でしたでしょうか?

怖い話は本の中でだけ楽しむ、そんな、毎日がいいですね。では、良き年末、良きお年を。

(きうら)






ラベル:きうら まとめ
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2017年12月03日

アウグスティヌス(出村和彦/岩波新書)〜シリーズ読書メモ(10)



「心」の哲学者アウグスティヌスについて

大雑把なまとめです

オモシロ度:★★★★☆


アウグスティヌスの生涯が簡単に分かる本です。たまに昔の人のことを読んでいると、この人は本当にこの世に存在していたのだろうかと思ってしまうことがあります。アウグスティヌスもそのうちの一人でした。本書を読むと、ローマ帝国末期に北アフリカで生まれたアウグスティヌスという人物が浮かびあがります。アウグスティヌスの一生は思想(思索)と絡み合っています。キリスト教(聖書)への不満からはじまり、キリスト教批判への批判に終わるまでの人生です。

アウグスティヌスは母モニカの影響でキリスト教に近付くも、聖書にあきたらないものを感じ、マニ教に向かいます。この頃のマニ教徒は、自分たちこそ真のキリスト教徒といっていたようです。その後アウグスティヌスは、紆余曲折を経てローマ、そしてミラノに向かうことになります。この頃彼は、伴侶と別れています。驚いたのは、当時、女性なしに過ごす自信が彼にはなかったということです。ただアウグスティヌスにとって、情欲それ自体よりも、そのことに同意する自分の意思が問題であったのです。マニ教的な考え(=性や肉体そのものを蔑視する考え)を脱して、「キリスト教への回心」に向かうアウグスティヌスが求めたのは、「神のことば」を真に理解する「心」という自己でした。彼の宗教的な理解は、知的なものとともに「心に響く感性を兼ね備えている」ものでした。「心」とは、(プラトン派から読みとった、自己の内面性という空間からくるもので)それを通して超越者へと向かう回路のことです。

アウグスティヌスには、現在までに膨大な数の著作や書簡等が遺されています。それだけ同時代からのアウグスティヌス評価が高かったことの証左だということのようです。その中で、『告白』は最も有名な著作です。この作品は、「過去の打ち明け話」に類するような回顧談的なものだけではありません。アウグスティヌスにとって『告白』は、「弱い自分への神からの無償のあわれみとゆるしに感謝し、そのような恵みをもたらす神の偉大さを賛美することである。」ようです。

本書後半部分について簡単にまとめますと、アウグスティヌスの様々な論戦がすごいということです。悪と自由意思をめぐるマニ教への論駁を経て、後半生はドナトゥス派との戦いやペラギウス派との論争が繰り広げられます。

ところで、富松保文『アウグスティヌス―<私>のはじまり』(シリーズ哲学のエッセンス)では、アウグスティヌスの生きた時代に、個人の「自我(内省的な意識)」がうまれたという説を紹介しています。アウグスティヌスの自省的な意識が「内」へと沈むものの、それは閉じた世界ではなく、「外」との差異で発見されるものであるようです。「内/外」は通じているのです。その「内」のはじまりは「内」であることを超えています。なぜなら「内」のはじまりは、どこまで突き詰めてみても捉えられないからです。そうして「内」を超えたところに「神」をみることになるのでしょうか。(No.008-Seijo)

(成城比丘太郎)




アウグスティヌス 「心」の哲学者 (岩波新書) [ 出村和彦 ]





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